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東京地方裁判所 昭和43年(行ウ)41号 判決

原告 阿部真人 外五名

被告 公共企業体等労働委員会

参加人 国

訴訟代理人 松崎康夫 外五名

主文

一、原告らの請求をいずれも棄却する。

二、訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一、当事者双方の求めた裁判

(原告ら)

一、被告が、申立人原告ら、被申立人札幌郵政局長間の公共企業体等労働委員会昭和三九年内第四号事件につき、昭和四二年一二月一日付でした命令を取り消す。

二、訴訟費用は被告の負担とする。との判決。

(被告)

主文第一、二項と同旨の判決

第二、当事者双方の事実上、法律上の陳述

別紙(一)要約書記載のとおり

第三、証拠関係〈省略〉

理由

第一、当事者間に争いのない事実

一、原告らはいずれも郵政省職員であり、かつ全逓信労働組合(以下「全逓」ともいう。)に所属する組合員であつて、昭和三八年一二月ないし昭和三九年一月当時、それぞれ別紙目命令書写添付別表「勤務個所」欄記載の場所に勤務し、同表「全逓の役職」欄記載の全逓役員であつたが、昭和三九年一月二五日札幌郵政局長から同表「処分の理由」欄記載の理由により、同表「処分の種類および程度」欄記載の各懲戒処分を受けた。

二、原告らは、右懲戒処分は不当労働行為を構成するとの理由で被告に対し救済の申立をし(公労委昭和三九年(不)第四号事件)、被告は昭和四二年一二月一日右申立を棄却する旨の命令を発し、その命令書は同月五日原告らに到達した。

三、被告の右命令の理由は別紙(二)命令書写理由記載のとおりである。

第二、原告らは、右懲戒処分は労組法第七条第一号の不当労働行為に該当するにもかかわらず、原告らの救済申立を棄却した被告の命令は事実の認定および法律の適用を誤つた違法がある、と主張するので順次判断する。

一、事件の背景について

(一)  この点に関する被告命令書理由第二、1(1) ないし(4) の事実は、対策本部から函館局に派遣された札幌郵政局職員および札幌郵政監察局職員の任務の内容を除くほか、当事者間に争いがない。

(二)  原告らは、札幌郵政局が同局職員および札幌郵政監察局職員を函館局に派遣したのは、函館局における作業手順(順送り方式)、職場交渉、年次有給休暇請求などについての慣行を一方的に廃棄し、全逓を弱体化させるためである、と主張するので検討する。

(イ) 作業手順の慣行

〈証拠省略〉を総合すると、次の事実が認められる。

1 第一種、第二種の通常郵便物の配達については郵便集配運送計画規程(昭和二七年公達第一〇五号)によつて必要な基本的事項を定めており、都市部では右規程にもとづき午前八時に配達に出発する一号便(午前六時前後までに引受けまたは到着した郵便物を結束する。)と午後一時に配達に出発する二号便(午前一一時前後までに引受けまたは到着した郵便物を結束する。)があり、各便の作業手順は、自局内で引受けた郵便物および他局から到着した郵便物を配達区別に区分け(配達区分)した後、各配達区ごとに、郵便物数が多く、かつなるべく局から近い個所から始まり順次配達郵便物が少く、かつ局から遠い個所に終るように定められた配達巡路に従つて区分(道順組立)し、これを配達に持ち出すという順序で行われていた。

函館局でも、函館市内の通常郵便物の配達には一号便と二号便があつて、ただ日曜日は、前記郵便集配運送計画規程に則り、一号便だけに減回されていた(日曜日が一号便だけであることは当事者間に争いがない。)。そして、郵便課において、到着または引受けた郵便物を配達区分して所定の場所に置いておくと、毎朝出勤してきた第一、第二集配課の職員が、各自担当区の分を受け取つて道順組立を済ませたうえ配達に持ち出しており、その間、管理者から特別の作業指示を与えたことはなかつたし、またその必要もなかつた。

2 ところで、各配達区の外務職員の定員は受持区域の広さ、区域内の配達個所、常態的な配達部数などを勘案し、定員の算出標準に従つて定められているが、配達郵便物の量が急激に増加するなど特殊な事情がある場合には、その処理方法として、まず管理者(郵便課長または集配課長)が、あらかじめ当該便によつて配達可能と見込まれる郵便物だけを道順組立して配達に持ち出し、残余は次便以降に繰り下げるよう指示するとか、配達員がいつたん持ち出した郵便物を全部配達しきれないで持ち戻つたときは通常これを次便の配達郵便物の中に一緒に組み込んで道順組立をしたうえ配達させ、持ち戻り郵便物が非常に多量で右の方法によることが適当でないと判断すると、持ち戻り郵便物(例えば四丁目、五丁目の分)と次便の郵便物のうち配達個所の重複しないもの(例えば一丁目ないし三丁目)を合わせて次便で配達させるなど、残留郵便物を優先的に配達できるような措置がとられるのであつて、函館局においても、通常は右のような処理がなされており、外務職員から担当の統括(主任または主事)に対し、配達郵便物の量が多いので少し残して行きたい旨を申し出て現場の集配業務について一〇年以上の経験を有する統括の判断により、これを了承して然るべき指示を与えることはままあつたけれども、統括あるいは課長の指示がないのに、持ち戻り郵便物の量の多少にかかわらず、次便ではそれだけを配達に持ち出し、その配達が完了しない限り、その後の便の郵便物に手をつけないような配達手順(いわゆる順送り方式)をとつたことはなかつた。

ところが、全逓では、昭和三五、六年頃から、年末闘争における業務規制戦術の一環として右の順送り方式を採り入れるようになり、昭和三八年年末闘争においてもこの順送り方式を採用し、函館支部においては一二月一〇日頃からこれを実行に移したので、配達時間に無駄を生じ、函館局の集配業務の能率は一層低下し、これが滞留郵便物を増大させる原因の一つとなつた。

以上の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

右認定の事実によると、函館局における通常郵便物配達の作業手順としていわゆる順送り方式なるものが日常慣行的に行われていたわけではなく、順送り方式は、全逓が昭和三八年年末闘争時に採用した業務規制戦術にほかならないといわさるを得ない。

(ロ) 職場交渉の慣行

〈証拠省略〉を総合すると、次の事実が認められる。

1 郵政省と全逓間の話合の方途としては、大別すると、両者の間に締結された団体交渉の方式および手続に関する協約にもとづく団体交渉(本省と中央本部との間で中央本部の役員数以内の交渉委員により行う中央交渉、郵政局とこれに対応する地方本部との間で地方本部の役員数に地区本部数を加えた数以内の交渉委員により行う地方交渉、局所とこれに対応する支部との間で支部の役員数以内の交渉委員により行う支部交渉)、主として郵便、電通関係の合理化問題を対象事項とする「事前協議」、団体交渉事項以外の問題について団体交渉の方式、手続に準拠して行う「会見、話合」、苦情処理に関する協約にもとづく苦情処理の四つの制度があり、このほか前記団交協約の議事録確認事項中の「支部交渉があるの故をもつて、一つの局において一つの局限りの問題についての折衝が行われることを否定するものではない。」との条項にもとづき、一支部を構成する数局のうちの一つの局の代表と組合の代表により行われる「折衝」、北海道特有の制度として、札幌郵政局と全逓道本部間の覚書にもとづき、分会とこれに対応する局側組織との間の交渉の場として「分科会」が設けられていた。

2 組合と管理者が話合う制度上の方途は右のように限定されたものであり、郵政省としては、右の正規の手続によらない限り、局内各職場で課長が組合と話合ういわゆる職場交渉を認めるべきでないとの態度をとり、その旨の通達を全国的に流していた。しかしながら、例えば課長の作業指示に対して所属の課員からその都度意見を述べるとか、職場環境の整備について要望するなど、職場で日常の労働について生ずる個々の小さな問題をいちいち上記の正式な交渉の場にもち出すことは困難であり、また実効性にも乏しいのが実情であつた。そこで、少くとも北海道においては、各局の課に対応する全逓の組織単位である班の班長、班の中で一〇人に一人の割合で選出される職場委員などが中心となり、場合によつては上部組織である分会、支部などの役員を交えて、当該職場の直接の責任者である課長との間で、双方納得のうえ右のような具体的問題について事実上話合いをもち、どうしても解決できないものを前記の分科会あるいは正式の団体交渉にもち出すということはひろく行われており、函館局もその例外ではなく、昭和三八年年末闘争時までは、課長はこのような職場における話合に任意に応じていて格別紛争を生じた事例はなかつた。

以上の事実が認められ、右認定を覆すに足りる的確な証拠はない。

右認定の事実によると、函館局において、課長を相手方として当該課所属の職員により職場で行われる話合は最終的に労働協約の締結に至ることを前提とした団体交渉権の行使という厳密な意味での団体交渉の性質を有するものとはいい難いけれども、職員の不満要求をその都度採り上げて末端の職場組織の代表者もしくは組合役員が当該職場責任者である課長と直接折衝し、未解決の事項を組合執行部による団体交渉に集約するための職場活動ということができ、このようないわば団体交渉へもりあげるための前段階としての職場交渉は、昭和三八年当時函館局において、課長がこれに任意に応ずる限り慣行的に行われていたものと認めるのが相当である。

(ハ) 年次有給休暇請求手続の実態

〈証拠省略〉を総合すると、次の事実が認められる。

1 郵政省と全逓は、年次有給休暇に関する協約の実施に関し、昭和三二年一二月二七日右協約の付属覚書を取り交わし、年休請求の手続に関し「一、休暇の請求は、所属長に対し、あらかじめ請求書を提出することにより行う。二、自由使用(その年度に発給した休暇に対する付与方法をいう。)による休暇の請求は原則として前日の正午までに提出するものとする。三、休暇は職員の請求に対する所属長の意志表示により与えるものとし、所属長は職員の請求する時季に休暇を与えることが業務の正常な運営を妨げないか否かについて具体的判断を行い、その結果請求の時季に休暇を与えるときはその旨意思表示し、また請求の時季には休暇を与えないで、他の時季に与えるときはその旨意思表示するとともに、この場合職員から特に求められたときは、その事由の要旨を口頭通知するものとする。四、右により請求する時季には休暇を与えないで、他の時季に与えることとした場合において、これを当該年度中に与える見込みがあると所属長が認めたときは、その予定する時季を日、週、または月をもつて通知する(したがつて、この場合においては、職員が請求を一旦撤回しない限り、その予定した時季近くに至つて再度請求する要はないものとする。)」との申し合わせをしていた。

2 昭和三八年当時函館局においては、局長が右覚書第三項の意志表示をなす権限を庶務、会計、郵便、第一集配、第二集配、貯金、保険の七課の各課長に委任していたが、実務上の付与手続きとしては、平常時には、各課の職員から年休請求書が前日までに統括係の主事または主任に提出されると、統括のところで勤務割りを検討して、請求者が多数であるとかその他業務運行に支障をきたすような事情がある場合には、請求者と折衝、調整し、その結果統括から付与することが難しいといわれた請求者は任意に請求を一旦撤回し、課長のもとえは、統括の判断で付与しても業務に支障がないと考えられる分だけの年休請求書が回され、課長はこれをそのまま承認するのが一般の取扱であり、組合主催の平和友好祭とか局主催のレクリエーシヨンのため分会から局次長に申入れがあつて、課長自ら年休請求の処理に関与することもあつたけれども、それは極めて稀な事態であつた。したがつて、一般職員としては、年休請求書が統括係の主事または主任のところで受理され、しかも統括から特段の申入れのない時は、当然年休請求を承認されたものと考えており、他方課長が課員の年休請求に関して直接当該課員と話合うということも滅多になかつた。

3 ところが、昭和三八年闘争のように、郵政省と全逓とが闘争状態に入ると、統括係の主事また主任も全逓の組合員であつたため、組合員からの年休請求について統括の立場であらかじめ折衝、調整することをせず、提出された年休請求書全部をそのまま課長のところに回して本来の建前どおり課長の判断を俟つという態度をとつたので、いきおい課長自身で年休を付与できない事情の説明、時季変更(他日振替)の問題などについて請求者あるいは組合側と直接折衝するとか、不承認に対する苦情を聞いたりしなければならないこととなり、その過程で上記の職場での交渉がもたれることもあつた。

以上のとおり認められ、右認定を覆すに足りる的確な証拠はない。

右認定の事実によると、いわゆる平和時において、課長が年次有給休暇の付与について請求者と常に折衝していたことは認められないけれども、年休を付与するか否かの決定権限は本来課長にあり、闘争時においては、建前どおり手続きが進められる結果、上記の職場で行われる交渉においてこの問題も採り上げられていたものというべきである。

(二) 郵政局職員ら派遣の経緯

〈証拠省略〉を総合すると次の事実が認められる。

全逓は、上記のとおり簡保転貸債反対を昭和三八年年末闘争の中心的な課題とし、簡保転貸債の通達が撤回されない限り闘争を終結しないとの方針を決定し、函館地方支部においても右方針に従つて強力な反対闘争を展開していたが、これに対して札幌郵政局に設けられた年末首郵便業務運行札幌地方対策本部(主として業務関係の情報収集および業務上の指導を行う業務班と労務関係の情報収集、指導を行う労務班から構成されていた。)では同年一二月一〇日頃、同局人事部の須田管理課長を函館局に派遣して局状を調査させた。

函館局は、小樽郵便局とともに北海道内ただ二つの分配局で、第三種以下の郵便物が集中してくるため、通常の場合でも一二月に入ると取扱郵便物の量は相当増大するのが例であつたが、上記一二月八日の全逓臨時中央委員会後、上記のように、函館支部においていわゆる順送り方式の作業手順を採用したことが一因となつて、第三種郵便物を除いた第一種、第二種の通常郵便物だけに限つても約八万通(同局の平常の処理数量によると約一、五日の遅延)、小包が約一万四〇〇〇個(上記の計算で三日ないし四日の遅延)滞留しているという異常な状態であつてこれら滞留郵便物の配達のため同月一五、一六の両日非常勤職員(学生アルバイト)三〇名ないし四〇名を雇い入れる計画を立てていた。ところが、須田管理課長の調査結果によると、非常勤務職員の確保には組合側の抵抗が予想され、またその指導にも協力しない動きがある旨報告があつたので、対策本部は、従来郵便業務指導のため業務班に属する郵務関係担当者二名のみを派遣していたのであるが、同月一五日非常勤職員の確保措置を構ずることを含めて、函館局の業務運行を確保するための事務応援ならびに労務関係事務の処理を行わせるという趣旨で、新たに小川人事部長、高橋管理課長補佐、吉田同課労働係長、根森および上野両管理課員の五名を函館局に派遣した。その後、同月一六日に、右人員では手不足のため、郵政省郵務局から一名、対策本部から業務班に属する郵便関係担当者二名貯金および保険担当者各一名、労務班に属する人事部員二名(合計七名)が、さらに同月一七日には、後記認定のような組合側の行動に対応して、札幌郵政監察局職員西名が追加派遣されるなど逐次増員され、結局昭和三八年末に郵政省、札幌郵政局および札幌郵政監察局から函館局に派遣された延人員は約四〇名に上つた。そして、そのうち直接業務関係に携つた人員は約一二、三名であつてその他の者は、後に認定するように、当時函館局では、全逓指導のもとに行われていた順送り方式の作業手順を是正するなど滞留郵便物の配送計画を進めて行くため業務命令によらざるを得ない状況であつたところがら、主としてその業務命令が的確に遂行されるかどうかを把握する仕事に従事することとなり、その間支部、分会役員の職場での動静を監視し、管理者側において違法と考える行動について記録をとるようなこともあつた。

以上の事実が認められるのであつて、右認定の事実によると、昭和三八年年末闘争に際し、函館局に派遣された札幌郵政局および札幌郵政監察局の職員らの主たる任務は函館局における滞留郵便物の配送計画を推進し、同局の業務運行を確保することにあつたものというべきであり、右認定を覆して原告ら主張のように全逓の弱体化を図るためであつたことを肯認させるべき的確な証拠は存在しない。

二、昭和三八年一二月二八日の状況について

(一)、(1)  被告命令書理由第二、2(1) の事実中、次の事実は当事者間に争いがない。

一二月一五日、支部は原告阿部とともに翌一六日の非常勤職員(学生アルバイト)の入局に対し、就労しないよう直接働きかけることを決定し、原告阿部をその責任者とし、その他の分担を取り決めた。同月一六日、原告らは、他の数名の組合員とともに、上記決定にもとづき、出勤してきた約三〇名の非常職勤員に対し全逓の闘争を破るようなことはやめてほしいとの趣旨のビラを配つたり、マイクまたは口頭で闘争に協力して入局しないよう呼びかけたりした。その間

(イ) 原告一ノ関は、午前七時四五分頃から同七時五五分頃までの間、簡、通用門附近において出勤してくる非常勤職員にビラを配布した。

(ロ) 原告鈴木は、午前八時頃から同九時頃までの間、出勤してきた非常勤職員に対し、ビラを配つたり、携帯マイクで全逓の闘争に協力して入局しないよう呼びかけたりした。

(ハ) 原告安田は、午前八時過同九時頃までの間、通用門付近において、出勤してきた非常勤職員に対し、ビラを配つたり、入局しないよう呼びかけたりした。

(ニ) 原告阿部は、前日の一五日、非常勤職員の入局に対する不就労の働きかけの決定およびその分担の取り決めなどにあたつたが、一六日午前八時頃から通用門付近において、組合側の呼びかけの状況を監視した。

(ホ) 原告佐田は、午前八時過頃から、通用門付近において、組合側の呼びかけの状況を監視するとともに、入局しないよう呼びかけた。

(2)  原告らは、右非常勤職員に対する説得活動の間に、非常勤職員の前に立ち塞がつたり、手を広げて取り囲んだりして入局を阻止したことはないし、当局側から解散要求があつたことは知らない、と争うので検討する。

上記当事者間に争いのない事実に、〈証拠省略〉を総合すると、次の事実が認められる。

(イ) 一二月一五日に開かれた原告阿部を中心とする支部役員の非常勤職員に対する説得活動の打ち合わせにおいて、「アルバイトに来た学生諸君に訴えます。」と題し、全逓の簡保転貸債反対闘争の意味を説明するとともに、この闘争を破ることをやめてほしい旨を要請する内容のビラを翌一六日出局してくる非常勤職員に配布して協力を求めることとし、その分担を決め、原告鈴木は携帯マイクで同趣旨のことを呼びかけ、訴外石塚康治(分会青年部副部長)は、局側管理者と紛争を生じて後日問責されることを防止するため、説得活動の状況を写真撮影する手筈をととのえた。当時、全逓の指導方針としてピケツトを張る場合はあらかじめ道本部の承認を必要としたが、右の打合せで説得活動の際ピケツトを張るというようなことは問題にならなかつた。

(ロ) 右の打合せにもとづき、一六日午前七時四五分頃から、原告一ノ関、訴外小坂(分会執行委員)、同小島(分会青年部常任委員)、同佐藤ら組合員数名が、赤色または澄色の腕章をつけて通用門附近立ち、出勤してくる非常勤職員に対してビラ配布を開始し、その後午前八時前頃、原告一ノ関は当日の勤務が午前八時からであつたためその場を立ち去り、新たに原告鈴木、同安田、同佐田および訴外石塚康治らが加わつた。原告鈴木は、携帯マイクを肩に掛けて非常勤職員に対し全逓の闘争に協力してくれるよう呼びかけ、訴外石塚は写真機を手に持つて写真撮影にあたり、その他の者は、分会闘争本部発行の前記ビラを非常動職員に手渡しながら全逓の闘争に協力して就労しないよう話しかけ、一般職員には闘争情報を配布したりした。また、原告阿部は午前八時頃から約三、四分間通用門附近でこの状況を見ていた。このような説得活動は、午前九時前頃まで続けられたが、その間、原告一ノ関、同安田、同佐田らが、ビラを手渡すために非常勤職員の傍へ寄つて行き、たまたまその進路に出たり、立ちどまつた非常勤職員に数人の組合員が話しかけることもないではなかつたけれども、スクラムを組むとか、進路前方に人垣をつくつて立ち塞つたり、周囲を取り巻くとか、あるいは非常勤職員の身体に直接手をかけるといつたような非常勤職員の入局をあくまで阻止する行動に出たことはまつたくなかつた。むしろ、管理者側は、組合側の説得活動開始後間もなく、函館局の菊地郵便課長、福井会計課長、札幌郵政局から派遣された管理課職員の根森、上野、波川ら約一〇名が「管理者」の文字の入つた白腕章を善用して通用門附近に現われ、表道路を歩いてくる非常勤職員に付き添い、組合員が説得のため近づき戸迷つた非常勤職員が足を止めると、間に割つて入つたり、非常動職員の背後から腕をかかえて押すようにして局舎内に連れ込むといつた積極的な行動をとり、出勤してきた約一八名の非常勤職員全員を局舎内に導入した。

(ハ) 非常勤職員の出勤が既にほぼ終つた午前八時五〇分頃、非常勤職員二名がオートバイに相乗りをして通用門からかなり速い速度で構内に入つてきたところ、通用門附近にいた組合員の誰れかが「待て、待て」と大声をあげて呼びとめたので、オートバイは通用門を入つてすぐの場所にある酒庫の前で急停車した。その場へ組合側からは原告鈴木、同安田および訴外石塚が説得に集つたところ、同時に管理者側も菊地郵便課長、上野、根森両郵政局員がオートバイの脇へ寄り、上野が運転している非常勤職員の腕に手を添えるようにしながら「エンジンをかけなさい。」といつた。そこで、右非常勤職員は再びエンジンをかけ、管理者側職員と組合員に取り囲まれるような恰好で二人乗りのままゆつくり前進し、右側の職員自転車置場の方向へ曲ろうとしたが、そこには既に自転車が一杯に置いてあり、原告鈴木から「そこはオートバイ置場ではない。あつちだぞ。」といわれたので、さらに構内を奥へ進んで道路側の柵の近くにオートバイを置いた後、根森、上野の両名に付き添われて局舎玄関の方に歩いてきた。丁度そこへ原告須郷が玄関口から姿を見せ、また、表道路で説得活動をしていた訴外小島、同佐藤らも集つてきて原告須郷が、まず上野、根森らに対し、手を放したらどうかという意味のことをいい、非常勤職員に対しては闘争に協力して局に行かないでほしい旨を話しかけ、暫く説得を続けたが、非常勤職員は根森に促されて局舎内に入つた。

(ニ) このように通用門附近で説得活動が行われた間に、局舎三階の次長室窓際から、水島貯金課長がマイクを使用して二度にわたり「局長の命令を伝えます。直ちに解散しなさい。勤務時間中のものは勤務しなさい。」と繰り返して放送し、組合員の中から「官側うるさいぞ。」と反発の声が上つたことがあつたが、原告らの中で、勤務時間中であるにもかかわらず説得活動に従事していた者は日勤勤務の原告安田のみであつた。

以上の事実が認められ、〈証拠省略〉、他に右認定を覆し得る証拠はない。

右認定の事実によると、原告らの行つた非常勤職員に対する説得活動は、いずれも口頭または文書による平和的なもので、相手方の判断の自由を奪い、その自由意思を制圧するような態容のものでなかつたことは明らかであつて正当な組合活動というべきであり、また、局長の解散、就業命令は勤務時間中であるにもかかわらずこれを放棄して説得活動に従事していた原告安田に対する関係を除いては右正当な組合活動に対する介入として客観的に違法性を帯び遵守義務を負わせるに由ないものであるから、原告阿部が道本部から派遣されたオルグとして約三分間説得活動の状況を監視した行為をも含めて、原告らの説得活動は、未だ管理者の指揮命令を排除して労務を停廃するものではなく、業務の正常な運営を阻害する行為にはあたらないと認めるのを相当とするが、原告安田が勤務時間内に組合活動に従事した点は、これを正当視することができない。

(二)  被告命令書理由第二、2(2) の事実は当事者間に争いがない。

現業公務員の服務関係において管理者が、その指揮監督権限に服する下部職員に対し、職務の遂行について命令を発する場合、文書によらなければならないという法的根拠はなく、もとより口頭でも差支えないのであつて郵政省と全逓との間にこの点に関して別異の協定があるなど特段の事実が認められない以上、右認定のような原告阿部の行動は到底正当とはいい難く、これによつて福士課長の作業手順指示の業務を妨げたものといわなければならない。

(三)、(1)  被管命令書理由第二、2(3) の事実中、次の事実は当事者間に争いがない。

原告須郷は、組合員二名とともに午後三時四〇分頃、局長室で会議中の札幌郵政局人事部長小川常人に対し、一六日午後組合に手交された非常動職員の入局阻止に対する警告書の撤回を求めて画会を要求した。

(2)  右当事者間に争いのない事実に〈証拠省略〉を総合すると、次の事実が認められる。

午後三時三〇分頃原告須郷から吉田局長に対し、小川人事部長に会いたいと電話があり、小川部長は丁度業務運行対策について会議中であつたので、吉田局長から会えない旨を返答したところ、その後間もなく、原告須郷は、棚池副支部長および浅野分会長を伴つて局長室前へやつてきた。吉田局長は局長室入口の扉附近に立つて原告須郷に対し、「打合わせをしているから入らないでほしい。」といい、手を拡げるようにして再三制止したが、同原告は「暴力は振るわん。兎も角会わせろ。」とか「いいんだ、いいんだ。」といつて同局長の身体を押しながら前進し、遂に同局長を押しのけて局長室内に立ち入つた。

以上のように認められ、〈証拠省略〉、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

右認定の事実によると、原告須郷は、郵政局の小川人事部長に面会を強要し、制止する吉田局長を実力で排除して局長室内に立ち入つたものであつて面会の目的の如何を問わず正当な行為ということはできない。

(四)、(1)  被告命令書理由第二、2(4) の事実中、次の事実は当事者間に争いがない。

原告鈴木、同安田の両名が、組合員三名とともに午後三時五五分頃から同四時五分頃までの間、第一集配課事務室において福士課長に対し、年次有給休暇を請求した同課職員四名のうち一名が承認されなかつたことについて抗議し、その際同課職員二、三〇名がその周囲に集つてきてこれに同調し、同課長を非難したり野次つたりしたため職場は騒然となつた。

(2)  右当事者間に争いのない事実に、〈証拠省略〉を総合すると、次の事実が認められる。

一六日の午前中に第一集配課の職員である永井から統括係の主事に翌一七日の年休請求書が提出され、主事のところで事情を聞いたところ子供を幼稚園に連れて行かなければならないということだつたので、右請求書を福士課長に回わしてきた。そこで、福士課長は永井を呼んで、「郵便物も溜つていることだし、ほかの日にして明日は出てほしい。幼稚園なら妻君に行つて貰うとか他の方法があるではないか。」などというと、永井は返事をしないで引き下つた。その後、永井からことのいきさつを聞いた原告鈴木、同安田の両名が、上記のとおり浅野分会長、谷口、海野両分会執行委員ら組合員数名と一緒に福士課長の席にきて、右永井の年休請求を承認しなかつたことについて抗議するとともに、不承認の理由を聞きたい旨を申し入れた。しかし、福士課長は当時残留郵便物の調査、集計などの業務に携つていたため、「仕事の都合でやれない。」と簡単な説明をしただけで、仕事の邪魔になるという態度をとつたので既に外勤の業務を終つて休息時間に入り、話合の経過を見守つていた同課の職員らが次第に課長の周囲に集まり、口々に「課長おかしいぞ。」「そうだ、そうだ。」などと声を上げた。

以上のとおり認められ、右認定を左右し得る証拠はない。

函館局において、年次有給休暇の請求に対し付与または他日振替の意思表示をする権限は各課長に委任されており、年休請求の処理は元来課長の担当する職務内容の一つであつたこと、職場で日常の労働について生ずる個々の具体的問題につき当該職場の責任者である課長と組合側との間で双方納得のうえ直接折衝もしくは話合がもたれる慣行があり、闘争時においては年休付与に関する事項も右の話合の対象とされていたことは上記のとおりであり、福士課長が明確に他日振替の意思表示をすることなく年休請求者に対し同人の年休利用の目的に介入し請求の日に出動するよう指示したことに対し、原告鈴木、同安田らが前記認定の言動に出たことは、その行為の態容が、同課長を威圧するとか罵詈雑言を浴びせるといつたいわゆる吊し上げのようなものではなく、また、その時間も僅か一〇分程度に過ぎず、福士課長の方でも一応任意に話合に応じていたことを考え併せると、その間同課長のほかの仕事が中断し、一時職場が騒然たる状態を呈したとしても、未だこれをもつて正当な組合活動の範囲を逸脱した違法な抗議行動と断ずることはできない。

三、一二月一七日の状況について

(一)、(1)  被告命令書理由第二、3(1) の事実のうち、次の事実は当事者間に争いがない。

午前八時五分頃から同八時一五分頃までの間、第一集配課事務室において、福士課長が同課職員に対して作業手順を指示し、これに従わない者に業務命令を出そうとしたところ原告鈴木は、同課職員に対し、「課長のいうことがわかるか。よく聞いておけよ。」「間違つたら困る。」「道順などよく聞いておけ。」などといい、また原告阿部は、途中から来て同課長に対し、業務命令の内容は文書で細かく示すよう要求した。

(2)  右当事者間に争いのない事実に〈証拠省略〉を総合すると次の事実が認められる。

上記のように函館支部が一二月一〇日頃からいわゆる順送り方式を実行に移し、滞留郵便物が一層増大してきたので、函館局では、これに対処するため局長名義で作業手順について業務命令を発して順送り方式をやめさせ業務運行を図ることとし、同月一六日に「課長の指示する郵便物を道順組立をし、組立終了後直ちに出発せよ。」どの業務命令を出した。しかし、一日だけでは効果があがらなかつたので、翌一七日も始業時の午前八時頃同じ内容の業務命令を出すこととし、第一集配課においては、福士課長が作業室の道順組立用区分棚の間を巡回して各職員の担当する郵便物の量を検討し、その都度紐で日別、便別に縛つた郵便物の束を手にとつたり、フアイバーに入つた郵便物を指差すなどの方法により処理すべき郵便物を具体的に特定しながら、各人に道順組立をして配達に出るよう作業手順を指示し、業務命令でなければ従えないという職員に対しては、改めて業務命令であることを明確にしたうえ再度同趣旨の内容を通告していつた。

このような作業指示および業務命令の内容そのものは、上記のように郵政省当局と全逓とが闘争状態にないいわゆる平和時においては一般に行われている配達の作業手順にほかならないばかりか、処理すべき郵便物も具体的に特定されていたので、職員がこれを理解できないようなものではなかつたにもかかわらず、原告鈴木は、福士課長の傍に附き纏いながら、組合員二名とともに前記のような発言をこもごも繰り返し、また原告阿部は、「業命は文書でなければ駄目だ。文書で示せ。」と執拗に要求したため、福士課長は作業指示および業務命令発出の職務の迅速な遂行を妨げられた。

以上の事実が認められ、〈証拠省略〉、他に右認定を覆し得る証拠はない。

右認定の事実によると、原告鈴木、同阿部の言動は、いずれもいわゆる順送り方式による業務規制闘争を効果的に継続するため、福士課長が作業指示を与えたり業務命令を発することを故意に妨害したものと認めるのを相当とする。

(二)、(1)  被告命令書理由第二、3(2) の事実中、次の事実は当事者間に争いがない。

午前八時一〇分頃、第二集配課事務室において、同課課長井上正太郎と課長代理小野国太郎が、同課職員に対して作業手順を口頭で指示していたところ、原告一ノ関は組合員四名とともに同課長に対し、作業手順を文書で示すよう要求した。

(2)  右当事者間に争いのない事実に〈証拠省略〉を総合すると次の事実が認められる。

井上第二集配課長および小野同課長代理が、一七日午前八時頃から上記第一集配課の場合とまつたく同様のやり方で、各職員に対し、第二集配課長の指示する郵便物を道順組立をし、道順組立終了後直ちに出発するよう口頭で指示を与えていたところ、原告一ノ関が、小坂分会執行委員ほか組合員玉名とともに、作業手順を文書で細かく示すよう繰り返し要求しながら同課長についてまわり、第二二区の道順組立棚附近に来たとき、原告一ノ関が、職員全員に呼びかけるような大声で、「ノーコメントで行け。」「課長は何もできないから聞くだけ聞け。」といい、これに呼応して職員の中からも発言する者があり、職場全体は騒然たる状態に陥つた。そこで、同課長は、その場の混乱を一刻も早く収拾して職員を仕事に就かせることが先決であると考え、やむなく文書によることを固執する職員一七、八名に対しては、局長命の業務命令書を交付したが、これによつて同課長の作業指示業務は仲々進行せず、通常に比べ倍近い時間を要した。

以上のとおり認められ、〈証拠省略〉、他に右認定を覆し得る証拠はない。

右認定の事実によると、原告一ノ関の言動は、上記第一集配課における原告鈴木らのそれと同様、井上課長の職務の遂行を故意に妨害したものといわさるを得ない。

(三)、(1)  被告命令書理由第二、3(3) の事実中、次の事実は当事者間に争いがない。

原告須郷、同鈴木、同一ノ関らは午前九時五〇分頃から同一〇時頃までの間、保険課事務室において、執務中の同課課長阿部広武に対し、同課職員六名が一六日に提出した年休申請を同日夜になつて電報でその不承認を通知したことと、他日振替をしなかつたことなどについて抗議した。同課職員約三〇名がこれに加わり、職場は騒然となつた。

(2)  右当事者間に争いのない事実に〈証拠省略〉を総合すると、次の事実が認められる。

一二月六八日、保険課職員六名は同課の松田課長代理に年休請求書を提出したまま退局したが、当時保険課では、新年の一月一日から七日までの保険金の集金を繰り上げて行うため業務多忙であつたところがら、午後一〇時三〇分頃になつて局長名義で各請求者に対し、「一六日請求の年次休暇は承認できないから一七日出局勤務せよ。」との電報を打つた。翌一七日午前八時五〇分頃、原告一ノ関、保険課の伊藤班長、谷口、小坂両分会執行委員および保険外務の職場委員数名は、年休請求者四名とともに執務中の阿部保険課長の席へきて、年休請求を承認しなかつたこと、夜中に電報で出勤を命じたこと、他日振替の指定をせずに出勤を命じたことなど前日の件について抗議を申し入れた。ところが、同課長が、前日欠勤していて、松田課長代理から一応の報告を受けていたけれども、ことの経緯を充分知らなかつたので、次長に事情を聞いてほしいといつて間もなく一旦組合事務所に引き上げた。

その後、上記のとおり、午前九時五〇分頃組合事務所にいた原告須郷、同鈴木も一緒に再度同課長の席へ来て、原告須郷が、年末繁忙の中心である郵便課においてすら一六日に六名の年休請求を全部付与しているのに、保険課で付与しないのは理解できないとの趣旨のことを、その他の原告ら組合員は、前記と同様の抗議をこもごも行い、同課長から、電報を打つたのは職員が年休請求書を提出したまま帰つたからであつて、電報の配達が深夜になる筈はないと思うこと、付与しなかつた六名については、一月末までに仕事の都合をみて他日振替を行うことなどを応答し、約一〇分間やりとりを続け、最後に原告須郷が、「課長は前日休んでいて内容がよく分らないのだから、次長に話を聞いてこい。」といい、同課長は席を立つた。

以上のように認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

右認定の事実によると、原告須郷、同鈴木、同一ノ関の言動は、前記二、(四)、(2) に述べたところと同様、未だ正当な組合活動の範囲を逸脱した抗議行動には当らないと認めるのを相当とする。

四、一二月一八日の状況について

(一)(1)  被告命令書理由第二、4(1) の事実中、次の事実は当事者間に争いがない。

原告須郷、同鈴木、同「一ノ関、同安田は、組合員四名とともに、午前九時三五分頃から同九時五五分頃までの間、第一集配課事務室において福士課長に対し、同課職員の一人が課長代理川本岩吉の机の上の帳簿立に貼つてあつた個人用メモを服務表と見誤り、出勤時刻を間違えて出動したことについて課長の責任であるとして抗議した。

(2)  右当事者間に争いのない事実に〈証拠省略〉を総合すると、次の事実が認められる。

第一集配課事務室には正規の服務表が掲示してあつたが、同課の小野主任は新任であつたため、誤つて川本課長代理の机上の書類立に貼つてあつた個人用メモ(縦五、六センチ、横一〇センチくらいのインクで時刻を三段にわたつて記入した古い色褪せた紙片)に記載された時刻を見て出勤しており、このことが一二月一八日朝判明した。事情を聞いた原告安田は、右メモを持つて事務室から出て行つたが、その後暫くして午前九時三五分頃、原告須郷、同鈴木、同一ノ関、同安田は、小坂、谷口、安井、海野ら分会執行委員四名とともに福士課長の席の周囲に集まり、右メモを手に持つた原告須郷がいきなり「課内に貼り出してあるものは課長の責任だね。」と詰問し、福士課長が黙つていると、興奮した様子で室内を歩き回つて、まず「これは剥いでもいいんだな。」といいながら計画主事席横の書棚に貼つてあつたカレンダーと時刻表を剥ぎ取つて塵箱の中に投げ捨て、さらに副課長席後方の書棚に貼つてあつた郵便結束表に手を掛けて「これも剥いでもいいんだな。」「返事をしなきや分らんじやないか。」といい、福士課長がなおも返事しないでいると、課長席の右後方に来て、「俺のいうことが分らないのか。」といいながら、同課長の右上膊部を平手で強く叩いた。そこで、同課長が、その場から逃れるため立ち上つて書留交付台附近まで数歩歩いたところ、原告須郷が声高に「引きとめろ。」と叫び、そこにいた原告一ノ関および安井の両名が背後から同課長の両腕を掴んで引きとめ、同課長がなおも逃れようと身体を動かしていると、原告須郷が原告一ノ関に替つて同課長の右腕をとつて力一杯後方へ引き戻した。

以上の事実が認められ、〈証拠省略〉、他に右認定を覆し得る証拠はない。

右認定の事実によると、そもそも小野主任が出動時間を誤つたことについて福士課長の責任を追及することは筋違いであつて、原告らの福士課長に対する抗議の理由それ自体当を得ないものであり、そのうえ抗議中に、同課長の身体に対して軽微な程度にせよ暴行を加え、実力で退出を阻止したことは到底正当な組合活動とはいい難いものである。

(二)(1)  被告命令書理由第二、4(2) および(3) の事実はすべて当事者間に争いがない。

(2)  右当事者間に争いのない事実に〈証拠省略〉を総合すると、次の事実が認められる。

井上第二集配課長が、原告一ノ関ほか一名から請求のあつた一二月一八日の年休付与を承認しなかつたところ、午後一時四〇分頃原告一ノ関および小坂、安井、海野ら分会執行委員が執務中の同課長の席へ来て、「年休をどうしてくれないか。」と抗議を始め、同課長が業務に支障がある旨説明すると、「業務の支障とはどおいうことか。」と反問し、双方の言分は水掛論のようになつたが、なおも同じ内容のやりとりを午後二時一五分頃まで約三五分間繰り返した後、また来るということで引き上げた。そして、午後四時三〇分頃から今度は前記の者のほか原告須郷、同佐田、同鈴木が他課の職員を含む大勢の組合員とともに執務中の同課長の席の周囲に集まり、前と同じ内容の抗議を午後五時一五分頃まで四五分間にわたつて続けた。

以上のとおり認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

いわゆる斗争時においては、課長から当該課所属職員の年休請求を承認できない事情を説明するとか、不承認についての苦情を聞くなど、職場において課長と組合側の折衝ないし話合が慣行的に行われていたことは上記のとおりであるけれども、右認定のように、井上課長の執務中、二度にわたり約一時間二〇分もの間執拗に同じ内容の抗議を繰り返したことは、最早単なる折衝ないし話合をもつて目すべきものではなく、職場交渉に藉口していたずらに同課長の職務遂行を妨げたものといわなければならない。

(三)(1)  被告命令書理由第二、4(4) および(5) の事実中、次の事実は当事者間に争いがない。

原告安田は、組合員数名とともに、午後四時一五分頃から同四時三〇分頃までの間、貯金課事務室において、執務中の同課課長水島繁に対し、同課職員七名の年休不承認について、こもごも同課長を非難し、同課長の退去要求を無視して抗議を続けた。

原告須郷、同鈴木、同一ノ関、同安田は、組合員約三〇名とともに、午後五時一五分頃から、貯金課事務室において、執務中の水島課長に対し、再び前記七名の年休不承認について承認することを求めた。同課長はその場で二名の年休を承認した。しかし、原告らがさらに抗議を続けたので、同課長は函館局次長菅野貞一と相談の結果、二名について追加承認し、残つた三名には別の日に年休を与えることとしたので、原告らは午後五時四五分頃退室した。

(2)  右当事者間に争いのない事実に〈証拠省略〉を総合すると、次の事実が認められる。

水島貯金課長は一八日午前中に外務職員七名から年休請求書が提出されたが、丁度年末ボーナス時期で全員に年休を付与すると貯金励奨計画の目標達成に支障をきたすと考え、午後一時頃外勤室へ赴いて請求者に請求の理由を聞こうとしたところ、職員の中から理由を聞くのはおかしいと発言する者があり、そこへ原告鈴木、同安田ら組合役員も入つてきて理由を聞いたことに抗議し、職場は騒然となつたので、同課長は退出した。

午後四時一五分頃、原告鈴木、同安田および安井分会執行委員が執務中の同課長の席へ来て、さきに理由を聞いたことに抗議し、同課長が全員一度に付与できないので、已む得ない事情のある者には与えるつもりで理由を聞いた旨答えると、「年休は当然権利があるのだから理由を聞く必要はない。」「皆に年休を承認したらいいではないか。」などと反論し、暫く押問答を続けた挙句、同課長が「いつまでも話をしてもきりがないからお帰り下さい。」と退去を求めても一向応じないので黙つていると、原告鈴木は、「課長お前はいつから聾になつたんだ。」「聾にいくらいつても仕様がない。」「札幌の奴らが帰つたらひどい目に合うよ。」と捨台詞を残して立ち去つた。

その後午後五時一五分頃、原告須郷、同鈴木、同一ノ関、同安田が年休請求をした七名の外務職員ほか多数の組合員とともに、執務中の同課長の席に集まつて口々に前と同様の抗議を始め、同課長が請求者の一人に請求の理由を質問したところ周囲の者から、「課長、いちいち聞いているが、皆同じことをいつたらどうして判断するんだ。」と非難の声が上がり、その場は喧々囂々となつた。そこで、同課長は、当時高血圧のため眩暈をおこすほど身体の調子が悪く、また、外務員が集金した金銭の整理、計算など当日の職務が末だ残つており、これを処理するためにも事態を収拾したいと考え、二名の年休付与を承認すると、原告須郷が、「二名認めるのも三名認めるのも同じではないか。」といい、押問答のすえ同課長が三名まで譲歩すると、更に「三名認めるのなら四名でもいいじやないか。」と追及したので、同課長は遂に困惑して次長室に相談に行き、菅野次長の意見によつて已むなく二名追加承認し、残つた三名は他日に振替えることとしたので午後五時四五分頃原告ら組合員は引き上げた。

以上のとおり認められ、〈証拠省略〉他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

上記のとおり、年休協約に関する付属覚書によつても明らかな如く、課長は、年休請求があつた場合、専ら客観的に業務の正常な運営を妨げるか否かの観点から付与の可否を決定し、請求の日に付与できないときは他日振替の通知をすべきものであるから、右認定のように、水島課長が年休請求者に請求の理由を聞いたことは必ずしも当を得た措置とはいい難く、その地同課長の年休請求の処理の仕方に明確を欠く点があつたことは否定できないけれども、原告らが二度にわたつて約四五分間抗議を繰り返し、その間同課長から話合を打切りたいとして退去を求めてもこれに応じないばかりか、かえつて侮辱的言辞を弄し、遂には同課長を奔命に疲れさせて困惑させるまで執拗に追及したことは上記の慣行的な職場における話合のあり方に照らして行き過ぎといわざるを得ず、正当な組合活動と認めることはできない。

五、一二月一九日の状況について

(1)  被告命令書理由第二、5の事実中、次の事実は当事者間に争いがない。

原告佐田、同鈴木、同一ノ関、同安田は、組合員五名とともに、午後一時一〇分頃から、第一集配課事務室において、執務中の福士課長に対し、年休を請求した同課員五名のうち二名が不承認になつたことについて抗議した。同課長は、仕事に支障があるから二名の不承認は撤回できない旨回答したため、職場は騒然となつた。同課長は原告安田、同一ノ関外一名に退去を命じた。

(2)  右当事者間に争いのない事実に、〈証拠省略〉を総合すると、次の事実が認められる。

一九日午後一時一〇分頃、福士課長が、午前中に年休請求のあつた五名のうち二名に対して、業務繁忙のため請求どおり付与できないが、他日振替は翌年一月中頃以降ならどうか、との趣旨の話をしていたところ、原告一ノ関、同安田、同佐田、同鈴木ほか組合員数名が相次いで同課長の近くへ集まり、口々に「どうして不承認なのか。」と抗議を始め、同課長が上記のとおり回答したため両者の間で押問答となつた。そして、同課長が仕事の邪魔になるので帰つてほしいといつてもなかなか応ぜず、原告一ノ関、同佐田ほか一名に対し文書による退去命令を手渡した後も、これを無視して同趣旨の抗議を続け、午後一時三〇分頃分科会交渉のため原告佐田のみをその場に残して立ち去つたところ今度は入れ替りに原告須郷がやつて来て前と同様「不承認とはおかしいじやないか。」と抗議を繰り返し、同課長が席を立つ一時四五分頃まで続けた。

以上のとおり認められ、〈証拠省略〉、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

右認定の事実によると、福士課長が話合に応じていた間は別として事務処理の支障になるので話合を打切りたいとの意向を明確に表示し退去を求めた後も、これを無視して入れ替り立ち潜り執拗に抗議を続け、同課長が席を立つまで約三五分間にわたつて話合を無理強いした原告らの行動は、前記四、(三)、(2) に述べたところと同様正当なものと認めることはできない。

六、一二月二〇日の状況について

(1)  被告命令書理由第二、6の事実中、次の事実は当事者間に争いがない。

原告阿部、同須郷、同佐田、同鈴木、同一ノ関、同安田らは午後〇時五〇分頃から同一時二五分頃までの間組合員三名とともに第一集配課事務室および第二集配課事務室を行つたり来たりして、

イ、第一集配課事務室においては、福士課長が全員に対し、翌二一日に非常勤職員が配送する郵便物の道順組立についての業務命令を出し始めたところ、こもごも同課長のやり方を非難するとともに、「命令の内容がよく分らん。」といい、同課職員の中からも「課長のいうことがよく分らない。」という者がでてきたりしたため職場は騒然となつた。このため、同課長は区分棚を回わり、各人に業務命令を読み上げて歩いた。また、菅野次長は再三口頭または文書で退去を要求したが、原告らはこれを無視し、原告須郷は、「組合専従者に退去命令をかけるのは、組合活動の侵害だ。退去命令書はもらわないことにしておく。」といつて同事務室の石油ストーブで退去命令書を焼き「もう退去命令は出すな。」といつた。

ロ、第二集配課事務室においては、井上課長が文書により第一集配課におけると同内容の業務命令を各人に出し始めたところ、原告阿部は、業務命令書をみて、その内容をもつと細かく示すよう要求した。

(2)  右当事者間に争いのない事実に〈証拠省略〉を総合すると、次の事実が認められる。

函館局では一二月一九日の局議において、同月二一日に大量の非常勤職員を雇い入れて滞留郵便物の配送を促進することとし、非常勤職員は道順組立作業ができないので、前日の二〇日午後に、第一、第二集配課の常勤の外務職員によつて、もつぱら翌日配達分の道順組立のみを行わせる計画を打ち合わせた。

第一集配課の福士課長は、右打合わせにもとづき、二〇日午後〇時五〇分頃から同課事務室の道順組立用区分棚の間を歩き回つて各職員に対し、「第一集配課長の指示する郵便物の道順組立をせよ。」との業務命令を記載した文書を交付するとともに、上記三、(一)、(2) の場合と同様、日別、便別に把束されてある郵便物を具体的に指示、特定しながら業務命令の内容を説明していつたところ、上記原告らは、幅約一メートル四、五〇センチの狭い区分棚の間にまで入つて来て同課長に附き纏い、口々に「命令の内容が分らんぞ。」とか「郵便物を出してやれ。」といい、これに呼応して職員の中からも「課長もう一回いつてくれ。」「業命の内容が読めないんだ。」「分らないんだ。」などと声が上がり職場は騒然となつた。

第二集配課においても、井上課長が、同時刻頃、福士課長と同様の方法で「第二集配課長の指示する郵便物の道順組立を行え。」との業務命令を発しかけたところ原告阿部が傍に来て、「これでは分らんではないか。もつと細かく示せ。」と執拗に抗議を行い、それが口火となつて職員の中に「分らん。」というような発言をする者が続出して職場は騒然となつた。そこで、同課長は已むなく業務命令書にマジツクペンで処理すべき郵便物の便数を記入し、業務命令の発出を続けていると、そこへ原告須郷、同一ノ関の両名が来て、まず原告須郷が大声で「間違なく配達しなければだめなんですぞ。」と、続いて原告一ノ関が「おい皆んな、ゆつくりやれよ。」と呼び掛けた。

このような原告らの言動のため、両課長の業務命令発出の業務は妨げられ、予定どおり進行しなかつた。

以上のとおり認められ、〈証拠省略〉。

右認定の事実によると、原告阿部、同須郷、同佐田、同鈴木、同一ノ関同安田の言動は、前記三、(一)、(2) で述べたところと同様、福士課長および井上課長の作業手順に関する業務命令発出の職務を故意に妨害したものといわさるを得ず、また、菅野次長が右のように職務執行を妨害する原告らに対して退去を命じたことは、函館局の局所管理者として有する業務執行権能にもとづく当然の措置であるから、この退去命令を無視したことも違法な行為といわなければならない。

七、昭和三九年一月八日の状況について

(1)  被告命令書理由第二、7の事実中、次の事実は当事者間に争いがない。

原告須郷は、午後三時三五分頃から同三時五五分頃までの間、組合員四名とともに、第二集配課事務室において執務中の井上課長に対し、同課長が同課職員の原告一ノ関および分会執行委員小坂義明の両名に勤務時間中組合事務所に行かないよう注意したことについて抗議した。同課長は、庶務課長長谷部嘉雄から注意するようにいわれたものである旨を答えた。原告須郷は、来合わせた長谷部課長に対し、「庶務課長の権限で平和時に業務命令が出せるのか。」と大声で詰問した。

(2)  右当事者間に争いのない事実に〈証拠省略〉を総合すると、次の事実が認められる。

長谷部課長は、八日午後四時前頃、人事の問題で井上課長と相談するため第二集配課事務室へ行つたところ、丁度井上課長に抗議中であつた原告須郷が、「いいところに来たな。まあ坐われ。」といつたので、課長席横の椅子に腰をおろした。すると、同原告は、大きな声で「今は平和時だろう。平和時に業務命令が出せるか。」といい、長谷部課長が黙つていると、激しい調子で同趣旨の発言を繰り返したので、同課長が「平和時でも業務命令は出せる。」と答えたところ、同原告は、その場で局長に電話をかけた後、同課長に向つて「馬鹿野郎。局長は出さんといつているぞ。」「いつ局長より偉くなつたんだ。この青ぶくれ。」などと怒鳴りつけ、そのうちに同課の職員一五、六名が周囲に集まつてきた。そこで、同課長が「そおいう暴言を吐くなら話し合えないから帰る。」といつて立ち上ろうとしたところ、同原告は、「俺は全逓の函館支部長だ。俺のいうことを聞け。」といいながら、前方から同課長の両腕上膊部を押えつけた。その時、騒ぎを聞いて現場に駈けつけた吉田局長が、両者の間に割つて入つて制止したので、同課長はその際にその場から逃れようとして数歩歩きかけた。すると、同原告は「つかまえろ。」と怒鳴り、それに呼応した組合員数名が同課長の腕や肩を掴んで引き戻そうとして揉み合つたが、吉田局長や小野課長代理から暴力はやめるよう大声で制止されたため一瞬手を離し、その間に同課長は室外へ脱出した。

以上のとおり認められ、〈証拠省略〉、他に右認定を覆し得る証拠はない。

右認定の事実によると、原告須郷が、長谷部課長に対して侮辱的な言葉を吐いたうえ、退去を阻止するために自らまたは組合員に命じて実力を用いた所為は、到底正当な組合活動とはいい難く、職場の秩序を著しく紊乱したものといわなければならない。

八、原告らは公労法第一七条の違憲および同条違反の行為については国公法第八二条による懲戒処分をなし得えないことを理由に、原告らに対する懲戒処分の違法、無効を主張するけれども、本件訴えは、いうまでもなく、公労委の発した不当労働行為救済申立を棄却する命令の違法性を主張して当該命令の取消しを求める抗告訴訟であつて、その審理の対象は、公労委のなした事実認定とこれにもとづく不当労働行為成否の判定が正当になされたかどうかの点に関する法律判断の当否であり、不利益処分そのものの当否を審理の対象とするわけではないのであるから、原告の右主張はさらに判断を進めるまでもなく、主張自体失当であつて採用の限りでない。

第三、結論

以上述べたところによると、原告阿部、同須郷、同鈴木、同一ノ関、同佐田の二、(一)(非常動職員に対する説得活動)、原告鈴木、同安田の二、(四)(福士課長に対する抗議)、原告須郷、同鈴木、同一ノ関の三、(三)(阿部課長に対する抗議)の各所為は、いずれも未だ正当な組合活動の範囲を逸脱したものとは認め難いのであるから、被告命令の理由中、この点に関する部分は採り得ないところであるが、原告阿部の二、(二)(福士課長の作業指示妨害)、三、(一)(福士課長の業務命令発出妨害)、六(福士課長、井上課長の業務命令発出妨害)の各所為、同須郷の二、(三)(実力による周長室立入り)、四、(一)(福士課長に対する抗議、暴行、実力による退出阻止)、四、(二)(井上課長に対する抗議)、四、(三)(水島課長に対する抗議)、五(福士課長に対する抗議)、六、七(長谷部課長に対する暴言、実力による退出阻止)の各所為、同佐田の四、(二)、五、六の各所為、同鈴木の三、(一)、四、(一)(福士課長に対する抗議)、(二)、(三)、五、六の各所為、同一ノ関の三、(二)(井上課長の作業指示妨害)、四、(一)(福士課長に対する抗議)、(二)、(三)、五、六の各所為、同安田の二、(一)(解散就業命令違反)、四、(一)(福士課長に対する抗議)、(三)、五、六の各所為は、いずれも正当な組合活動とはいい難く、職場秩序を乱し、函館局の業務の正常な運営を阻害する行為であり、原告らのこれらの行為のみを理由としても原告らに対する懲戒処分は理由があるから、右処分が不当労働行為に該当しないとして原告らの救済申立を棄却した被告命令の事実認定および法律判断は正当であつて右命令が違法であることを前提とする原告らの本訴請求はいずれも理由がない。

よつて、原告らの請求を棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条を適用して主文とおり判決する。

(裁判官 西山要 島田禮介 瀬戸正義)

別紙(一)〈省略〉

別紙(二)

昭和四二年一二月一日

令第三五号

昭和三九年(不)第四号

命令書(写)

公共企業体等労働委員会

命令書

申立人 阿部真人

申立人 須郷勝雄

申立人 佐田信一

申立人 鈴木敏雄

申立人 一ノ関藤弘

申立人 安田修

被申立人 札幌郵政局長 浅見喜作

上記当事者間の昭和三九年(不)第四号事件につき、当委員会は、会長公益委員兼子一、公益委員峯村光郎、同飼手真吾および同金子美雄合議のうえ、次のとおり命令する。

主文

本件申立てを棄却する。

理由

第一申立ての概要

申立人らは昭和三九年一月二五日、被申立人により、国家公務員法第八二条および人事院規則一二一〇による懲戒処分を受けた。申立人らの当時の勤務箇所、全逓信労働組合(以下全逓という。)の役職ならびに懲戒処分の内容および処分にあたつて示された理由は、別表のとおりである。申立人らは、これらの処分は、申立人らの正当な組合活動を理由とする不当労働行為であるとして、懲戒処分の取消しを求めて本件申立てを行なつた。

これに対して、被申立人は、これらの懲戒処分は、正当な組合活動の故になされたものではないとして申立ての棄却を求めた。

別表〈省略〉

第二当委員会の認定した事実

1 事件の背景

(1)  昭和三八年八月、郵政省は、特定郵便局の局舎を改善するため、簡易保険積立金を特定郵便局長に貸し付ける措置(いわゆる簡保転貸債)を行なう旨通達したが、全逓は、この措置に反対であるとの態度を表明した。

その後、全逓は、郵政省に対し、年末手当二・五月分支給、年末首繁忙手当改善、簡保転貸債の通達撤回などの要求を提出した。

同年一一月二五日以降数回にわたり、郵政省と全逓との間でこれら要求項目について窓口接渉が行なわれたが、郵政省が年末手当および年末首繁忙手当について交渉することを主張したのに対し、全逓が簡保転貸債問題をもこれらと同時に交渉することを主張したため、接渉は物別れに終わつた。

全逓は、年末斗争の中心を簡保転貸債反対におき、あわせて年末手当などの要求の貫徹をはかることとし、そのため、同年一一月二七日、各機関に対し、一二月一日以降三六無協定戦術に突入するよう指令した。さらに、全逓は、一二月八日臨時中央委員会を開き、三六無協定戦術の厳格実施およびこれを効果あらしめるための業務の規制、重量の制限厳守、各種取扱規定の厳守、平常能率の確保、教職員組合に対する非常勤職員の雇用についての非協力の要請などの方針をとることを決定した。

(2)  全逓函館地方支部(以下支部という。)においては、須郷申立人が上記臨時中央委員会に出席して帰つた後、直ちにその決定方針をさん下各分会に浸透させるなどの指導を行なつた。

この方針に従つて、同支部は、須郷申立人および全逓北海道地方本部(以下地本という。)からオルグとして派遣された阿部申立人を責任者として、年末斗争に入つた。

(3)  函館郵便局(以下函館局という。)においては、全逓の年末斗争の影響もあり、また年末の郵便物の増加もあつて、一二月九日ごろから、郵便物の滞留が増加しはじめた。

また、地本は、一二月一〇日ごろ、北海道高等学校教職員組合に対し、学生アルバイトの雇入れについて協力しないよう要請したが、支部函館分会も、町立亀田高校に対し、同趣旨の要請を行なつた。

これに対し、札幌郵政局は、年末首郵便業務運行札幌地方対策本部(以下対策本部という。)を設け、一二月一五日以降、同郵政局職員および札幌郵政監察局職員を函館局に派遣し、滞留郵便物の配送に当たらせた。

函館局は、対策本部の指示により、年賀郵便の受付開始日である一二月一五日および翌一六日の両日に従来の非常勤職員のほか三、四十名の非常勤職員(学生アルバイト)を雇い入れて小包郵便の配送に当たらせ、また普通郵便物については、滞留分を組み入れ道順組立をして配達することとしたが、組合側が引き続き順送り方式によらせたので、函館局は業務命令を出して前記の方法により滞留郵便物の配送につとめた。

(4)  なお、全逓と郵政省との間で、一二月二五日簡保転貸債問題についての了解が成立し、同月二六日、年末手当の交渉も妥結したため、函館局における年末闘争は、同月二六日に終結した。

2 一二月一六日(月)の状況

(1)  一二月一五日、支部は、阿部申立人とともに、翌六八日の非常勤職員(学生アルバイト)の入局にさいし就労しないよう直接働きかけることを決定し、阿部申立人をその責任者とし、その他の分担を取り決めた。

一二月一六日、申立人らは、他の数名の組合員とともに上記決定にもとづき、午前七時四五分ごろから、通用門付近において、出勤してきた約三〇名の非常勤職員に対し、当局側の解散の要求を無視して、全逓の闘争を破るようなことはやめてほしいとの趣旨のビラを配つたり、マイクまたは口頭で闘争に協力し入局しないよう呼びかけたりしながら、非常勤職員の前に立ちふさがつたり、手をひろげてとりかこんだりして入局を阻止しようとした。

非常勤職員の中には入局をためらつた者もあつたが、当局側が、午前八時ごろから約一〇名の管理職員を通用門付近に配置して、申立人らが非常勤職員の前に立ちふさがつたり、とりかこんだりしたのを排し、非常勤職員を導入したため、これら非常動職員は同九時ごろまでに全員入局した。この間、

イ 一ノ関申立人は、午前七時四五分ごろから同七時五五分ごろまでの間、通用門付近において、出勤してくる非常勤職員の進路に立ちふさがつてビラを配つたりした。

ロ 鈴木申立人は、午前八時ごろから同九時ごろまでの間、出勤してきた非常勤職員に対し、ビラを配つたり、携帯マイクで全逓の闘争に協力して入局しないように呼びかけたりした。

ハ 安田申立人は、午前八時すぎころから同九時ごろまでの間、通用門付近において、出勤してきた非常勤職員に対し、ビラを配つたり、進路にたちふさがり、入局しないよう呼びかけた。

ニ 須郷申立人は、午前八時五〇分ごろ、オートバイで出勤してきた非常勤職員二名に対し、鈴木、安田両申立人らとともに、「まて」と大声をあげてオートバイの前に立ちふさがり停止させ、「君達はどこの学校だ。学校には手配したのにどうしてきた。われわれの斗いに協力して局にくるな。」などといつた。

ホ 阿部申立人は、前日の一五日、非常勤職員の入局に対する不就労の働きかけの決定およびその分担の取り決めなどにあたつたりしたが、一六目午前八時ごろから、通用門付近において、組合側の呼びかけの状況を監視した。

へ 佐田申立人は、午前八時すぎごろから、通用門付近において、組合測り呼びかけの状況を監視するとともに、非常勤職員の進路に立ちふさがり、入局しないよう呼びかけた。

(2)  阿部申立人は、組合員三名とともに、午前八時一五分ごろ、第一集配課事務室に入り、同課課長福士清一から作業手順について指示をうけていた同課職員に対し、「これは業務命令なのか。局長に通告してあるから、業務命令は文言でなく口頭ならば従わなくてもよい。」旨いつて歩いた。

(3)  須郷申立人は、組合員二名とともに、午後三時四〇分ごろ、局長室で会議中の札幌郵政局人事部長小川常人に対し、一六日午後組合に手交された弊常勤職員の入局阻止に対する警告書の撤回を求めて面会を強要し、制止する函館局長吉田卯一郎の身体をおしのけて局長室に入つた。

(4)  鈴木、安田画申立人は、組合員三名とともに午後三時五五分ごろから同四時五分ごろまでの間、第一集配課事務室において、執務中の福士同課課長に対し、年次有給休職(以下年休という。)を請求した同課職員四名のうち一名が承認されなかつたことについて抗議した。このとき、同課職員二、三十名がモの周囲に集まつてきて、これに同調し、同課長を非難したり、やじつたりしたため、職場は騒然となつた。

3 一二月一七日(火)の状況

(1)  午前八時五分ごろから同八時一五分ごろまでの間、第一集配課事務室において、福士同課課長が同課職員に対して作業手順を指示し、これに従わない者は業務命令を出そうとしたところ、鈴木申立人は、組合員二名とともに、同課長につきまといながら、同課職員に対し、「課長のいうことがわかるか。よく聞いておけよ。」「間違つたら困る。」「道順などよく聞いておけ。」などとこもごもいい、また、阿部申立人は、途中から来て、同課長に対し、業務命令の内容は文書で細かく示すようくり返し要求し、同課長が業務命令を出すことを妨害した。

(2)  午前八時一〇分ごろ、第二集配課事務室において、同課課長井上正太郎と同課課長代理小野国太郎が、同課職員に対して作業手順を口頭で指示していたところ、一ノ関申立人は、組合員四者とともに、同課長につきまといながら、作業手順を文書で細かく示すようくり返し要求し、職員に対しては、「ノーコメントで行け。」「課長は何も出来ないから聞くだけ聞け。」などと大声でいい、職場が騒然となつて指示または口頭による業務命令に従わない者がいたので、同課長は、やむなく文書により業務命令を出した。

(3)  須郷、鈴木、一ノ関各申立人らは、午前九時五〇分ごろから同一〇時ごろまでの間、保険課事務室において、執務中の同課課長阿部広武に対し、同課職員六名が一六日に提出した年休申請を回目衣になつて電報でその不承認を通知したこと、他日振替えをしなかつたことなどについて抗議した。同課の職員約三〇名もこれに加わり、こもごも同課長を非難したので、職場は騒然となつた。

4 一二月一八日(水)の状況

(1)  須郷、鈴木、一ノ関、安田各申立人らは、組合員四名とともに、午前九時三五分ごろから同九時五五分ごろまでの間、第一集配課事務室において、福士同課課長に対し、同課職員の一人が同課課長代理川木岩吉の机の上の帳簿立にはつてあつた個人用のメモを服務表と見誤り、出勤時刻を間違えて出勤したことについて、課長の責任であるとして抗議した。

須郷申立人は、この間、同課長に返事をませつて右上はく部を打ち、岡課長が事務室から退出しようとしたところ、「引きとめろ。」とさけんで、組合員数名とともに、同課長の腕をつかんで引きもどして退出を阻止した。

(2)  一ノ関申立人は、組合員三名とともに、午後一時四〇分ごろから同二時一五分ごろまでの間、第二集配課事務室において、執務中の井上同課課長に対し、同課職員二名から請求のあつた年休を承認しなかつたことについて、その二名が組合役員であり意図したものではないかといつて抗議した。

(3)  須郷へ佐田、鈴木、一ノ関者申立人らは、組合員数名とともに、午後四時半ごろから同五時一五分ごろまでの間、第二集配謀事務室において、執務中の井上同課課長に対し、前記二名の年休不承認について、再び抗議をくり返し行なつた。

(4)  鈴木、安国両申立人は、組合員一名とともに、午後四時一五分ごろから同四時半ごろまでの間、貯金課事務室において、執務中の同課課長水島集に対し、同課職員七名の年休不承認についてこもごも同課長を非難し、同課長の退去要求を無視して抗議を続けた。

(5)  須郷、鈴木、一ノ関、安田各申立人らは、組合人約三〇名とともに、午後五時「五分ごろから、貯金課事務室において「執務中の水島同謀課長に対し、再び前記七名の年休不承認について承認することを求めた。同課長は、これら七者の年休請求者をその場に呼び申請の理由を聞いたところ、申立人らは理由を聞くのは不当であると非難し、このため職場が騒然となつたので、同課長は、事態の収拾のため、その場で二名の年休を承認した。しかし、申立人らがさらに抗議を続けたので、同課長は函館局次長菅野貞一と相談の結果、二名について追加承認し、残つた三名には、別の日に年休を与えることとしたので、申立人らは午後五時四五分ごろ退室した。

5 一二月一九日(木)の状況

須郷、佐田、鈴木、一ノ関、安田各申立人らは、組合員五名とともに、午後一時一〇分ごろから同一時四五分ごろまでの間、第一集配課事務室において、執務中の福士同課課長に対し、年休を請求した同課職員五名のうち二名が不承認になつたことについて抗議した。同課長は、仕事に支障があるから二名の不承認は撤回できない旨回答したため、職場は騒然となつた。同課長は口頭または文書で退去を命じたが、申立人らはこれを無視して抗議を続けた。

6 一二月二〇日(金)の状況

阿部、須郷、佐田、鈴木、一ノ関、安田各申立人らは、午後〇時五〇分ごろから同一時二五分ごろまでの間、組合員三名とともに、第一集配課事務室および第二集配課事務室を行つたり来たりして

イ 第一集配課事務室においては、福士同課課長が、全員に対し、翌二一日に非常勤職員が配達する郵便物の道順組立についての業務命令を出し始めたところ、こもごも同課長のやり方を大声で避難するとともに、「命令の内容が分らん。」などとやじり、同課課員の中からも「課長のいうことがよく分からない。」という者がでてきたりしたため、職場は騒然となつた。このため、同課長は、区分棚をまわり、各人に業務命令を読み上げて歩いた。また、菅野次長は、再三、口頭または文書で退去を要求したが、申立人らはこれを無視し、須郷申立人は、「組合専従者に退去命令をかけるのは、組合活動の侵害だ。退去命令書はもらわないことにしておく。」といつて同事務室の石油ストーブで退去要求書を焼き、「もう退去命令は出すな。」といつた。

ロ 第二集配課事務室においては、井上同課課長が文書により第一集配課におけると同内容の業務命令を各人に出し始めたところ、須郷、一ノ関両申立人は、「みんなゆつくりやれよ。」と大声でいい、阿部申立人は、業務命令書をみて、その内容をもつと細かく示すようくり返し要求したりしたため、職場は騒然となつた。

このような状況のため、両課においては、業務命令を出すのが予定よりもおくれた。

7 昭和三九年一月八日(水)の状況

須郷申立人は、午後三時三五分ごろから同三時五五分ごろまでの間、組合員四名とともに、第二集配課事務室において、執務中の井上同課課長に対し、同課長が同課職員の一ノ関申立人および支部函館分会執行委員小坂義明の両名に勤務時間中に組合事務所に行かないよう注意したことについて、抗議した。同議長は、庶務課長長谷部嘉雄から注意をするようにいわれたものである旨を答えた。

須郷申立人は、来合わせた長谷部庶務課長に対し、「庶務課長の権限で平和時に業務命令が出せるのか。」と大声で詰問し、事務室を去ろうとした同課長の腕をつかんではなさなかつた。この騒ぎをきいて、吉田局長がかけつけてきてこれを制止したので、そのすきに、同課長は退出しようとしたが、須郷申立人が「つかまえろ。」とどなつたので、組合員五、六名は同課長の肩や腕をつかみ、引きもどした。吉田局長が暴力はやめるようにいつたので、同課長は、ようやく事務室から退出することができた

第三当委員会の判断

申立人らは、本件懲戒処分は申立人らの正当な組合活動を理由としたものであると主張する。しかしながら、

1 阿部申立人は、

オルグとして来局し、須郷申立人とともに、支部の年末闘争の責任者となり、

(1)  一二月一六日の非常勤職員に対する行動の責任者となつて、当日現場で状況を監視した。

(2)  一二月一六日および「七日、福士第一集配課長が作業手順について指示していたさい、職員に対し、文書による業務命令が出されるまで課長の指示に従わないようしようようとした。

(3)  一二月二〇日、福士第一集配課長および井上第二集配課長が郵便物の道順組立について業務命令を出そうとしたさい、須郷、佐田、鈴木、一ノ関、安田各申立人らとともに、退去要求を拒否し、課長に対し、道順組立の内容を細かく文書で示すようくり返し要求し、大声で非難し、いやがらせをいつたりして、職場を騒然とさせ、命令を出すのを遅らせた。

2 須郷申立人は、

支部委員長として、阿部申立人とともに支部の年末闘争の責任者となり、闘争方針を組合員に浸透させるなど指導を行ない、

(1)  一二月一六日、非常勤職員の出勤のさい、非常勤職員のオートバイの前に、鈴木、安田両申立人とともに、立ちふさがつて停止させ、就労しないよういつたりして入局を妨害した。

(2)  一二月一七日、一八日および一九日、福士第一集配課長、井上第二集配課長、阿部保険課長および水島貯金課長の年休不承認の措置に対し、多数の組合員とともに、執ようにその措置の撤回を要求し、しばしば退去要求を無視して抗議をくりかえし、執務時間中の職場を騒然とさせた。

(3)  一二月二〇日、福士第一集配課長および井上第二集配課長が郵便物の道順組立について業務命令を出そうとしたさい、課長に対し、道順組立の内容を細かく文書で示すようくり返し要求し、大声で非難し、いやがらせをいい、退去要求書を焼いて退去要求を拒否して、職場を騒然とさせ、業務命令を出すのを返らせた。

(4)  一二月一六日、小川人事部長に面会を強要し、吉田局長の制止を実力で排除して局長室に入つた。

(5)  一二月一八日、福士第一集配課長に対し抗議したさい、同課長の腕を打つて返事を強要した。

(6)  昭和三九年一月八日、長谷部庶務課長に対し抗議したさい、組合員に命じて、同課長の退出を実力で阻止した。

3 佐田申立人は、

(1)  一二月一六日、非常勤職員の出勤のさい、総合員の行動の状況を監視するとともに、非常勤職員の進路に立ちふさがつたりして入局を妨害した。

(2)  一二月一八日および一九日、福士第一集配課長および井上第二集配課長の年休不承認の措置に対し、前記2、(2) と同様の行動をとつた。

(3)  一二月二〇日、福士第一集配課長および井上第二集配課長が郵便物の道順組立について業務命令を出そうとしたさい、前記1、(3) の行動をとつた。

4 鈴木申立人は、

(1)  一二月一六日、非常勤職員の出勤のさい、現場で、マイクを使つたりなどして闘争に協力し入局しないよう呼びかけたりし、非常勤職員のオートバイの前に須郷、安田両申立人とともに、立ちふさがつて停止させ、就労しないよういつたりして入局を妨害した。

(2)  一二月一六日、一七日、一八日および一九日、福士第一集配課長、井上第二集配課長、阿部保険課長および水島貯金課長の年休不承認の措置に対し、前記2、(2) と同様の行動をとつた。

(3)  一二月二〇日、福士第一集配課長および井上第二集配課長が郵便物の道順組立について業務命令を出そうとしたさい、前記1、(3) の行動をとつた。

5 一ノ関申立人は、

(1)  一二月一六日、非常勤職員の出勤のさい、現場で非常勤職員の進路に立ちふさがつたりして入局を妨害した。

(2)  一二月一七日、一八日および一九日、福士第一集配課長、井上第二集配課長、阿部保険課長および水島貯金課長の年休不承認の措置に対し、前記2、(2) と同様の行動をとつた。

(3)  一二月一七日、井上第二集配課長が作業手順について指示していたさい、同課長に対し、作業手順の内容を文書で示すよう要求した。

(4)  一二月二〇日、福士第一集配課長および井上第二集配課長が郵便物の道順組立について業務命令を出そうとしたさい、前記1、(3) の仁行動をとつた。

6 安田申立人は、

(1)  一二月一六日の非常勤職員の出勤のさい、現場で、一非常勤職員の前に立ちふさがつたり、非常勤職員のオートバイの前に、須郷、鈴木両申立人とともに、立ちふさがつて停止させ、就労しないよういつたりして入局を妨害した。

(2)  一二月一六日、一八日および一九日、福士第一集配課長および水島貯金課長の年休不承認の措置に対し、前記2、(2) と同様の行動をとつた。

(3)  一二月二〇日、福士第一集配謀長および井上第二集配課長が郵便物の道順組立について業務命令を出そうとしたさい、前記1、(3) の行動をとつた。

以上、申立人らの行為についてみると、当局側の解散の要求を無視して、出勤してきた非常勤職員の前に多人数で立ちふさがつたり、とりかこんだり、オートバイの進行をとめたりして入局を阻止しようとしたことは、組合の闘争に対し協力を求めた方法としても、行き過ぎた行為である。

さらに、課長の年休不承認の措置に対し、退去要求を無視して多人数で、殆んど連日にわたり、抗議をくり返し、その結果、執務時間中の職場を騒然たる状態にさせ、課長の業務をしばしば中断させたことは、たとえ、年休の請求が一般的に職員の権利であり、また年休不承認について当局がとつた措置に不手際があつたとしても、抗議の方法として穏当を欠くものである。

このほか、作業手順について指示を行なつている課長につきまとい、業務命令の内容を必要以上に細かく文書で示すようくり返し要求したり、課長の措置を大声で非難したり、いやがらせをいつたり、また執務中の職員に呼びかけたりして、職場を騒然たる状態にさせ、業務命令を出すことを妨害したことも、業務を阻害するものである。

各申立人らの行為は、個別の行為としてみるときには、業務の阻害の程度がさほど大きくなかつたとしても、これら諸行為は、それが発生した前後の経緯および申立人らがつぎつぎとこれらを行なつた事実からすれば、一連の行為として考察すべきものであり、かかる見地からして、申立人らのこれらの行為は、正常な業務の運営に支障を与えたものであり、正当な組合活動の範囲を逸脱したものであるといわざるをえない。

また、局長の制止を実力で排除して、局長室に入り、面会を強要し、また抗議のさい、課長の身体を打つたり、課長の選出を実力で阻止したりするようなことが正当でないことはいうまでもない。

従つて、これら申立人らの行為を理由として行なわれた本件懲戒処分は、労働組合法七条第一号に該当する不当労働行為であるとは認められない。

よつて当委員会は、公共企業体等労働関係法第二五条の五第一項および第二項ならびに公共企業体等労働委員会規則第三四条を適用して、主文のとおり命令する。

昭和四二年一二月一日

公共企業体労働委員会

会長 兼子一

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